

Story #3
渡部 優一
なべさん
自然体で軽やかに
やってみなきゃわからない
元々はしっかりと計画を立て石橋を叩いて叩いて渡るような側面のあった自分が、いつに間にか直感に従ってまずはやってみる、やりながら試行錯誤して軌道修正していく、そんなマインドセットになっています。やってみての気づきや発見を楽しみながら動いている自分がそこにいるのです。
自然な流れを大切に
何かすごく意識して力を込めてその方向に舵を切ったわけではなく、いつの間にか導かれるように自然とそんなスタンス、マインドセットに変容した結果、今の自分がここにいます。

敷かれたレールを歩く
引っ込み思案
小さい頃はとても引っ込み思案で自分が前に出て何かをするということはあまりありませんでした。色々な習い事をさせてもらえたことはとても感謝していますが、習い事も何か自分の意志でやりたいからやるということはなく、親が進めたものをそのまま受け取ってやる、そんな子供でした。
一方、どこかで目立ちたいという気持ちもあったのでしょう、明確な記憶はありませんが小学生のいつからか活発な部分も少なからず表出し始めていたような気もします。実際、最前列やセンターで映っている写真が残っています。
なんとなく進む人生
小学校6年生の時に中学受験をしますが、この学校に特に行きたいという意思はなく、親や塾に言われるがままに偏差値の高い学校(≒世間で言われるいい学校)を受ける。中学受験の時はそれもよくあることかもしれませんが、それは大学受験でも同じでした。そして、大学を出たら就職することが当たり前だから就職活動をする。どこかにはみ出るようなチャレンジをすることもなく、なんとなく敷かれたレール、なんとなくの方向性に人生が進んでいました。


リーダーシップの始まりと葛藤


リーダーシップの始まり
中学受験をしたので、地元を離れて電車で通学をする生活(片道30分程度の乗車ですが)が始まりました。それまでの慣れ親しんだ地元の友人関係ではなく、新たな環境で新たな友人との関係性が始まりました。
私のリーダーシップの始まりはバスケットボール部への入部がきっかけです。経緯は覚えていませんが、なぜか中1のまとめ役としてキャプテンに選ばれました。その後高校の最上級生になってからは部全体をまとめるキャプテンを務めていました。
葛藤の連続
この時期は葛藤する毎日でした。キャプテンとしてチームをうまくリードできない、試合に勝てない、ヒトへのあたりや投げる言葉がキツくなる、関係構築がうまくできないという苦悩がありました。メンバーが何かしたら連帯責任でキャプテンの自分も怒られることに納得がいかない自分もいました。顧問の先生と話しながらも自分が練習メニューを決める、練習を仕切る、試合に出るメンバーも自分が決める。
「自分で決める」ということに直面し続け、もがき苦しみ何か光明を見出したいと葛藤していた時期でした。キャプテンを辞めたいと打診したこともありましたがそれは叶いませんでした。苦しみ続けた時期ですが、この時の経験は今の自分にとっての大きな糧の1つになっています。
人生は有限
突然の変化
大学生になってラクロスに出会います。カッコいい先輩たちに憧れ、そして日本一になる可能性に惹かれ入部しました。自分が思っていた大学生活とは少し違う感じの生活(週5日朝練)が始まりましたが、色々な出身の友人との出会いやラクロス以外の時間も含めて日々の生活を楽しんでいました。何不自由ない大学生活が進んでいましたが、私が20歳の時に最愛の母が他界しました。世の中で最も私を愛し、常に最高にして最大の味方であった母が自分の目の前からいなくなったことで真っ暗になり心にぽっかりと穴が空いてしまいました。健康体で元気だった印象が強い母が亡くなったことで、初めて人生が有限であることを強制的に理解させられました。
リスタート
それまで頑張ってはいるけどなんとなく生きていた自分、敷かれたレールを歩いてきた自分が、この時から自分の人生をどうやって生きていくのかを考え始めます。何かが大きく変わったわけではありませんが20歳からの人生再スタートです。

自分で歩き始める


自らに由って生きる
私は社会人になって働き始めて何度か転職をし現在4社目になりますが、2社目に働いたコンサルティングファームでのプロジェクトを通じて刺激的な人にたくさん会うという僥倖に恵まれました。その方々は自分の知らない世界で生きている人たちでした。最初に感じたことは、「えっ、こんな生き方をしている人が本当にいるのか?」という驚きでした。
自分で決める
会社の勤め人として働いているのではなく、独立して個人で仕事をしている。決められた休日や勤務日があるわけではなく、自分の意志で時間の使い方・働き方・仕事内容・稼ぎも全て選択して決めている。自らに由る、自由を体現している人たちでした。そしてその方々の誰もが例外なく目が輝いておりイキイキと人生を送っている、少なくとも私はそう受け取りました。
見つけた憧れの世界
同時にそんな生き方に憧れている自分に気づきました。自由への渇望に気づき、自分の理想とする人生が見え始めました。すぐに実現できなくてもいい、でもいつかそんな人生を実現したい。そのためにはどんな歩みを進めていけばいいのか、1歩でも近づけるように試行錯誤しながら自分の内なる声、直感に従って選択を始めました。20歳の人生再スタートから結構な時間が過ぎていましたが、敷かれたレールではなく、自分で試行錯誤しながら考えて道を見出したり道を作って歩いていこう、そのプロセス自体も楽しんでいこう。私の内なる声です。
偶然のような必然の出会い
自分は何者か
自由を軸とした理想の人生に向かって歩みを進めると共に「自分はどんな人間として覚えられたいのか?」という問いが湧いてくるようになりました。
これまでの人生を振り返ると、どうにも物事がうまくいかない時、苦しい時、一歩踏み出したいけど足が竦んでしまう時が何度もありました。今も理想とする人生に向かって日々試行錯誤しています。
ヒトに恵まれる人生
そんな時、いつも私を助けてくれるヒトがいました。感謝の言葉を尽くしても尽くしきれないほどお世話になり、今でもその方々との関係は有難いことに深く繋がっています。
自分も「変化点・分岐点でそばにいれくれたヒト」になっていたらいいな、そんな想いを持つようになりました。
直感が導いてくれた出会い
そして私はコーチングに出会います。クライアントの可能性をクライアント以上に信じているコーチたちに出会います。「ああ、これだな~」と直感で感じました。
私はCTIというコーチ養成機関に申し込みをするのですが、ここで後にNo Bordersの仲間になる2人との出会いがありました。偶然のような必然。人に恵まれ続ける、それが私の人生です。

